ジャズとホッケーを愛する美しい町、Pori
はじめまして、この度フィンランド便りを執筆する北欧ナビゲーターの一人に加わりました。今回は私の住む町を皆さんにお伝えしたいと思います。
そもそも、フィンランドの中でポリってどこなの?という話から。
実はこの辺りは、ユネスコ世界遺産に指定されている旧都市を有するラウマを筆頭に、歴史が古い地域です。というのも、スウェーデンの支配下にあった歴史的背景から、古都トゥルクに加え、文化も宗教も西のスウェーデンから海を挟んで渡って来たからです。
ちなみにラウマの町が開かれたのは1442年、ヘルシンキは1550年、しかも当時、スウェーデン王グスタフ一世が、ラウマやこの辺り、そしてポルヴォーから無理やり住民をヘルシンキに引っ越しさせたのでした。
ポリの町は、西の海沿い、クレヨンしんちゃんの顔ならぷっくり頬っぺた、対岸はスウェーデン、南のトゥルクから車で二時間北上したあたりになります。もう一人のナビゲータ、そして友人でもある内田貴子さんが住むオウルはポリより大きく、ここから車で更に8時間北にあるので、北極圏に近いところにありながら勢いある町というのを記事からも感じて頂けるでしょう。
首都ヘルシンキで人口が55万人ほど、ポリは8万人で、十番目の中都市になります。港町で商業を中心に発展し、世界史で習うハンザ同盟の頃にはここの川を交易船が行き来し、外国からは香辛料や最新流行のファッション、フィンランドからは木材、タール、毛皮といったものが輸出されています。
1558年、のちにスウェーデン王になったヨハン三世がポリの町を開き、その後産業が発展し、隣町ノールマルックには、のちに建築やデザイン分野の人には知らない人はいないマイレア邸をアルヴァとアイノ・アアルト夫妻に依頼したアールストロム社の創始者夫妻、ハッリとマイレ・グリクセンの鉄鋼から製紙業への発展も目覚ましく、フィンレイソンの紡績工場(1981年の大火事で閉鎖)や機械工業の町となっていきます。
さて、フィンランド人にとってポリは、まずPori Jazz Festivalの町です。夫の母の同級生たちが1966年に設立したフィンランド初のジャズフェスで、7月半ばの十日間は全国から数万人が訪れ、ホテルも前年から予約一杯となるほど。
過去にはマイルス・デイビス、ウェイン・ショーター、ディジー・ガレスビーといった大御所がポリで伝説のジャムセッションをし、近年ではブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、ジャミロクワイ、スティングとジャズに限らず人気のアーティストを呼び、興行収入で若手やジャズ本家の無料ステージを幅広く提供しています。2023年はコロナ禍も過ぎ、ロビー・ウィリアムズなどを目当てに多くの人が夏を楽しみにやってくることでしょう。
さて、フィンランドの国技と言っても過言ではないアイスホッケー、ポリでも地元民に根強く愛されている一部リーグチームがÄssät(アッサッ…←カタカナの限界を感じます。最後のtは軽く発音下さい)です。トランプのエースの意味ですが、前回の優勝は2013年、その前は…1978年、という訳で十年前、家族で熱く応援し、車や各家庭の窓に旗が翻り、一カ月近く町が湧いたものでした。アイスホッケーを「世界一速い球技」と断言したのは、かつて軽井沢の旧・コクド計画のコーチも務めた「ドン」ユハニ・タンミネンですが、本当に面白いスポーツなので、秋~春にかけてフィンランドに旅行される方は、できればルールを知っている人とリーグ戦の観戦もちょっとディープなフィンランド旅としてお薦めします。
今回は日本の方にあまり知られていないポリをご紹介しましたが、20年住んで人はぶっきらぼうながらあったかく、自然もすぐそばにあって、平地なので夏はサイクリング道もスイスイ、冬は近所で凍った川の上をクロスカントリースキーやスケート、とアウトドアが手軽に楽しめ、どこへ行くにも15分で着くとても暮らしやすい町です。手作りジェラート屋さんや、有名な美味しいメレンゲ屋さん、マイレア邸、アクセリ・ガッレン=カッレラのフレスコ画が素晴らしいユセリウス霊廟等のお話はまたいずれ・・・
マイレア邸(英語)
この記事のライター
- 2002年にフィンランドの西部ポリに移住。フリーで翻訳などを始め、二番目の子どもの誕生と共に夫とWa Connection 設立。欧州と日本の顧客に逐次・同時通訳やコーディネーション、コンサルティング、フィンランド語書籍の翻訳を手掛ける。北欧語書籍翻訳者の会所属。コーヒーとチョコレート、そして本を心から愛する。
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